名は体を表す
ブログ100日への道、5日目。
さっきまで、姉とラインでやりとりしていた。
私の大好きなお米 中川吉右衛門米が届いた時に同封されていた葉書に、
姉の名前の漢字が偶然キャッチコピーに使われていたのだ。
彼女の名前は、物事の原点、真理、真実、を司る意味からきている。
「○○の米」と書かれていたのは、
まさに、これぞ真実のお米である、
ということを伝えているのだと思う。
まさに、そんな信念を感じるお米。
思わず、姉に写真を撮って送ったのです。
そして、こんな素晴らしい名前を付けてもらっていたこと、
そして、姉の本質や、やっていることをみていると、
まさに名前の通りに生きているな、と思った。
そう伝えたら、
独立してはじめての成年後見人の仕事が決まった、と伝えてくれた。
(成年後見人とは・・・認知症などで判断能力が衰えてきた人の代わりに、
身内や第三者がお金の管理・身の回りのサポートをする人のこと。)
認知症のおばあちゃんの味方になるよ!
わくわくする。と。
心底嬉しそうなのが伝わってきた。
そして、
彼女はこうも言っていた。
「実は原点は母親にあるんだ。
小学生のとき、ママはいつでもあなたの味方だよ、
って言われたことがあった。
それを聞いて、ひとりになってもいいから正義を貫こうと思った」
そう言えば、姉は、小学生のときから、
クラス全員がある子をいじめていても、
彼女だけはぜったいに加担せずにその子の味方をするような子だった。
許せない、と思ったことは許せないのだ。
おかしい、と思ったことはなんとなく受け流すことはできないのだ。
そのためには、怒りをあらわにすることもあった。
反抗期ともよぶのかもしれないけれど、
私には、その姿が眩しく見えた。
その原点には、
いつでもあなたの味方だよ、って言ってくれた母の言葉があったなんて。
けれどそんな彼女は、大人になってから
しばらく両親と折り合いがなかなか合わなくて、
(きっと彼女の正義感ゆえの理由があるのだと思う)
両親と距離を置くことを選んでいた。
それが一番いいんだと思っていたんだそう。
お正月に1度帰るだけ。
でも、一線を引いて当たり障りなく付き合ってきた。
けれど、心に重なっていったやりきれない思いや怒りは、
毎年のようにお正月に勃発するのだった・・・・・
周りで見てる私は、戦々恐々・・
7〜8年前だろうか。はじめに修羅場となったのは。
その時は、私も絶望した気分になった。
もうこの家族は寄り添うことができないのか、と。
絶縁してしまうのだろうか、と。
けれど、私は私なりに、それぞれがそれぞれなりに、
距離をおいたり、近づこうとしてみたり、
自分と向き合ったり、していたのだ。
そして昨年のお正月。
姉は父と初めて通じ合った。
初めて、お互いの一番伝えたかった想いを受け止めあった。
私は、それを間近で見ていて、とても嬉しかった。
やっと溶け始めた、って。
抽象的な書き方ですが、こんなことがありました。
http://makimorimori.hatenablog.com/entry/2020/01/03/001606
さっきのラインのやりとりで、
父との何かが溶け始めたって言ってた。
あぁ、本当によかったなぁ。
とってもとっても嬉しいなぁ。
今日は、そんな姉のことを、心から尊敬している、という話でした。