サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

うろたんけうどんあ

noteで公開中の坂口恭平さんの「お金の学校」を読んでいた。

前にも「躁鬱大学」や著作をたびたび読んでいて、いつも衝撃を受けては

じわじわと影響を受けていたのだけれど、

今回毎日アップされる11回完結の「お金の学校」には、

毎度、興奮したり泣かされたり身体が動き出すのだった。

 

 

そして、「お金の学校です。入学金10万円の安い学校(出世払い、後払い、自己申告制)つまり払わなくても全然問題ない制度。」

と冒頭に書いてある。

BASEの坂口さんのショップで入学金をお支払いできるのだ。

https://sakaguchiya.theshop.jp/items/34296108

 

もぐりで受講(読者)したらいいよー、となんども記事の中でも書いていて、

それなのに、記事がアップされるたびに、入学金の振込が止まらないのだという。

 

かく言う私も、なんでか、支払ってしまった。

 

 

だってね、

お支払いしたその先に、このお支払いしたものの行先が見えるから、

なんだか、行ってらっしゃい、と喜んで船を送り出すような気分だった。

きっと、このお金ちゃんたちは、よい旅をするよ。

 

 

そうして「振り込みが完了しました」と届いたメールには、

 

 

!!!!!!!!!!!

 

 

??????

 

 

目をこすって、文面を凝視すると、、、

なんと、2個、購入されていたのだ・・・・・・・・

 

おや。。。。

 

あれ???

 

動揺した。

 

ドキドキした。

 

 

え????でも。。。

 

 

私の中では、一瞬、返金依頼することもよぎったが、

 

・・・うん。

 

身体が動いていたんだね。

間違えでもいいし、身体がそうしたかった、と捉えてもいい。

なら、私は後者を取ろう。

 

なーんか。気持ちよかったんだもの。そうしたほうが。

 

その分、ドキドキは数倍にも高鳴ります。

 

 

 

そして坂口さんにメールをした。

 

 

そしたら、

「さすがに二つ購入してる人いないから、気づかないままでした」

ってお返事^^

 

でも、いつでも返金します、とも。

 

さいごに、

「困ってる人にうまく流れるシステムも考えたいと思います!」

 

と書いてあった。

 

 

 

嬉しかったし、この送り出した船が、

私の通帳という名の実態もわからぬ池の中に浮かんでいるよりも、

未知なる海へと、事実、漕ぎ出してゆく方が何百倍も幸せだと思った。

その姿を、きっと風の便りで触れることができるのだろうと思うと、

私もますます、幸せだと思った。

 

 

過去に出会った人でこんなことを言っていた方がいた。

 

「お金を支払ってもらった私の背中には扉があって、

その扉はいつも開け放たれているから、

私の中に止まらずに流れていく先がすでにあるよ。

それは○○だよ」

 

そんなようなことを言っていた。

 

 

このお金という名の種が、

どこまでも出かけて行って、いろんなところに蒔かれ、花を咲かせていくのだろうな、

そんな風に、感じさせてくれるところに、蒔いていきたいなと思う。

 

 

 

さて、ほんとは書くつもりじゃなかった、入学金支払いのことを

つい書いてしまった。

 

書きたくなってしまったのは、今日読んだ最終回

「卒業式 祝辞 たかちゃんへの返礼」で思い出した

「うろたんけうどんあ」のことだった。

 

 

最終回はこちら。

ぜひ読んでみてね。

そして1回目からゆっくりと読んでみてね。

https://note.com/kyoheisakaguchi/n/neeef692960c6?magazine_key=mb57f73e298e2

 

 

 

私は、坂口さんの4歳の頃

「僕は実は迷子だったんです」と書いてあるのをみて、

じわりと涙が溢れてきてしまい、幼少期のもやのかかったような自分の見ていた景色を思い出したのでした。

 

きっと、私も迷子だったんだと思います。

もしかしたら、今も・・?? (というのは今日はここでは置いておいて)

文中でのことは、まるで私の3~4歳のころの出来事を読んでいるようにも思えて。

 

私は3~4歳のころ、

他人とうまく関わることができなくて、大人からすると、

人見知りで頑固でいろいろとにかく大変だったそうで、

時に発狂めいた行動をとるし、ときに硬直して何時間も身体から離れなくなったりするなど、

母は何度も私を抱いて川に飛びこもうと思ったか、とか言ってました。

私が寝静まってから、この子をどう育てたいいものか、

よく姉二人も交えて家族会議も繰り広げられていたそうな。。

 

まあ、そんな幼少期でしたから、

母は、私を公立のみんながいく年齢ごとのクラスの幼稚園ではなくて、

3歳から見てくれる、いろんな年齢の子をまじえてクラスを構成している

少人数の遠くの幼稚園に通わせることにした。

 

そこで出会ったのが、

「うろたんけ うどんあ」

 

「けんたろう」という名のちいさな居酒屋を近所で営んでいた家の子供だった。

彼は、1つ上の幼稚園の同じクラスのあんどう けんたろうくんといいました。

 

おそらく、

なにかと泣きべそで笑わない、眼力だけはするどく周囲を見回していたような子だったらしい私のことを、なぜか、なにかと気にかけてくれて、

幼稚園でも、幼稚園が終わっても、よく遊んでくれていた。

 

ある日、早口で「うろたんけうどんあって知ってる?」って聞いた。

???

「僕の名前!反対から読んだら、うろたんけうどんあ!!」

 

私はなんか、ものすごい魔法の言葉を聞いたように、

雷に打たれてみたいな衝撃を受けた、、、ような気がする。

うわ~すげぇ!!!って思った。

なんか、感動した。

 

反対から読んだだけなのに、なんだ?この音から湧き出る魅惑の響きは・・

そんなような感覚を抱いた。

 

そして、彼は、だからまきちゃんは、「こきまやまは!!」

って私に言った。

 

!!!!!!!!!

 

この、衝撃たるや・・・・

 

なんで、私のは、うろたんけうどんあ、みたいに淀みなく流れる感じじゃないんだ、、、、

なんだこの、細切れに切れ切れな響きは。。。

言葉にはならなかったけれど、そんなふうに感じたと思う。

 

こころから、私もあんどうけんたろうという名前になりたいと思った。

なんで私は、うろたんけうどんあ、と自分のことを呼べないんだ、と愕然とした。

それだけは、どうしたって、死なない限り無理なんだ、、って。。

 

だから、私は「こきまやまは」って言い続けた。

家に帰っても、自分のことを、「こきまやまは」と呼んだりした。

 

そうしたら、だんだん、淀みなく言えるようになって、

なんだか、淀みなく流れていて、こきまやまは、もなかなかいいなって思った。

 

 

 

私は彼のことが大好きだった。

やさしくて、なんだか、安心できて。

きっと、私は、家以外で唯一笑っていたんだと思う。

思い出すと涙が溢れてくる。

やさしいお兄さんのようなけんたろうくんは、それくらい私にとって大切な場だったんだなと今おもう。

 

「うろたんけうどんあ」のこと以外、何をしたっていう記憶はとくにないのだけれど、

ただ一人、私の中で心を許した相手だったような、感覚だけが鮮明に残っています。

 

5歳になって、彼が卒園したとき、

私は、とっても寂しかったけれど、でも、同時に、強くなったと思います。

心の中に、けんたろうくんを抱えたまま、過ごしていたから。

いまでも、彼が、私の中に住んでいるんですね。驚き。

 

 

私がうまれてはじめて自覚した、家族以外の人からもらった

「やさしさ」「安心」「笑顔」だった。

彼といるときは、私は、自分の邪悪で意固地な部分じゃなくて、

可愛くて素直で明るい自分に会えた。

 

ありがとう。うろたんけうどんあ。

 

誰かに手を差し伸べること。

 

その原点を思い出させてもらった、坂口さんの記事でした。

坂口恭平さん、流れを、ありがとうございました‼️

そして、渾身の手紙による学校、入学してよかったーー😍

 

 

 

ところで、うろたんけうどんあ のけんたろうくんは、

今頃どうしているのかな。

小中学校は同じだったけれど、一言も声を交わしたことがなかったな。

ちょっとオタクっぽい感じだったなぁ。

息子の名前をつけた居酒屋けんたろう、行ってみたかったな。

 

やだ・・😭😭😭

 

まだやってるじゃない。。

炉ばたけんたろう・・・

https://r.gnavi.co.jp/pewxdspm0000/

 

情報はすくないけれど、Google マップでみると、まさにけんたろうくん家だった。

ママが一人で切り盛りしてるってそっちには書いてあった。

けんたろうくんの奥さんかな。ご親戚かな。

お母さんがまだやってらっしゃるのかな。

 

次に実家に帰省したとき、行ってみよう。

だれか、一緒に、行って・・・。

あなた、そうあなたよ笑

一緒に行こうね。