サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

ひっこしは、別れとともにやってくる?!

引っ越しを来週します。

 

なんだか作業は捗りません。

 

記憶にある限り、私にとって引っ越しは、

わくわく新しい場所へ!楽しみ!!!

っていう感覚にはなかなかなりません。

 

そういう状況のときだってあったはずとは思いますが。

別れがたい切ない気持ちに引っ張られてしまいます^^

 

 

どんなときも、引っ越しするときには、

少なからずいろんな「お別れ」に直面します。

 

もちろん、場所とのお別れ。モノとのお別れ。

だから、その場所やモノにくっついている思い出や時間とのお別れ。

段ボールに詰めながら、しんみりした気持ちになったりしています。

 

引っ越しを決める時って、

大なり小なり、人生の節目を迎えている時なんじゃないかな。

だから人間関係も大きく変わってゆく時の様にも思います。

何かを手放していく時でもある。

 

この引っ越しをきっかけに迎える未来よりも、

過去に気持ちがぐいっと引っ張られてしまう時間。

 

思っているよりもずっと、場所やモノは、

私たちの行動や感情をいつも見ていて、全てを記憶している。

思ってるよりもずっとというよりも、それがほんとなのかも。

だって、そのモノに触れた瞬間、どわ〜〜って扉を開けたみたいに溢れてくるものがある。

それまで忘れていたものまで蘇ってくる。

時空の扉があるのかもしれないよ。

 

そんな湧き上がる記憶に塗れてこの数日間を過ごしているのです。

 

そして不思議に思うのは、

お役目が終わったと感じられるモノたちもたくさんあって。

引っ越しを決める前までは、いつも通り使っていたし、

いつも通り、そこに収まっていたのに、

急に、存在感が薄れていくモノ。

急に私との繋がりが切れたように、もう持っていられないような気持ちになる。

よく今まで使い続けていられたな、と思うくらい。

ちょっと申し訳ないと思うくらい、見ていられなくなってしまう。

ごめんなさい、ありがとう、とお別れする。

 

 

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この子は、20年くらい前にある瀬戸物屋さんのお店の中から、道を歩いてる私と目が合った。

それからずっと、いつも私のそばで見ていてくれる可愛い子🐢

 

うろたんけうどんあ

noteで公開中の坂口恭平さんの「お金の学校」を読んでいた。

前にも「躁鬱大学」や著作をたびたび読んでいて、いつも衝撃を受けては

じわじわと影響を受けていたのだけれど、

今回毎日アップされる11回完結の「お金の学校」には、

毎度、興奮したり泣かされたり身体が動き出すのだった。

 

 

そして、「お金の学校です。入学金10万円の安い学校(出世払い、後払い、自己申告制)つまり払わなくても全然問題ない制度。」

と冒頭に書いてある。

BASEの坂口さんのショップで入学金をお支払いできるのだ。

https://sakaguchiya.theshop.jp/items/34296108

 

もぐりで受講(読者)したらいいよー、となんども記事の中でも書いていて、

それなのに、記事がアップされるたびに、入学金の振込が止まらないのだという。

 

かく言う私も、なんでか、支払ってしまった。

 

 

だってね、

お支払いしたその先に、このお支払いしたものの行先が見えるから、

なんだか、行ってらっしゃい、と喜んで船を送り出すような気分だった。

きっと、このお金ちゃんたちは、よい旅をするよ。

 

 

そうして「振り込みが完了しました」と届いたメールには、

 

 

!!!!!!!!!!!

 

 

??????

 

 

目をこすって、文面を凝視すると、、、

なんと、2個、購入されていたのだ・・・・・・・・

 

おや。。。。

 

あれ???

 

動揺した。

 

ドキドキした。

 

 

え????でも。。。

 

 

私の中では、一瞬、返金依頼することもよぎったが、

 

・・・うん。

 

身体が動いていたんだね。

間違えでもいいし、身体がそうしたかった、と捉えてもいい。

なら、私は後者を取ろう。

 

なーんか。気持ちよかったんだもの。そうしたほうが。

 

その分、ドキドキは数倍にも高鳴ります。

 

 

 

そして坂口さんにメールをした。

 

 

そしたら、

「さすがに二つ購入してる人いないから、気づかないままでした」

ってお返事^^

 

でも、いつでも返金します、とも。

 

さいごに、

「困ってる人にうまく流れるシステムも考えたいと思います!」

 

と書いてあった。

 

 

 

嬉しかったし、この送り出した船が、

私の通帳という名の実態もわからぬ池の中に浮かんでいるよりも、

未知なる海へと、事実、漕ぎ出してゆく方が何百倍も幸せだと思った。

その姿を、きっと風の便りで触れることができるのだろうと思うと、

私もますます、幸せだと思った。

 

 

過去に出会った人でこんなことを言っていた方がいた。

 

「お金を支払ってもらった私の背中には扉があって、

その扉はいつも開け放たれているから、

私の中に止まらずに流れていく先がすでにあるよ。

それは○○だよ」

 

そんなようなことを言っていた。

 

 

このお金という名の種が、

どこまでも出かけて行って、いろんなところに蒔かれ、花を咲かせていくのだろうな、

そんな風に、感じさせてくれるところに、蒔いていきたいなと思う。

 

 

 

さて、ほんとは書くつもりじゃなかった、入学金支払いのことを

つい書いてしまった。

 

書きたくなってしまったのは、今日読んだ最終回

「卒業式 祝辞 たかちゃんへの返礼」で思い出した

「うろたんけうどんあ」のことだった。

 

 

最終回はこちら。

ぜひ読んでみてね。

そして1回目からゆっくりと読んでみてね。

https://note.com/kyoheisakaguchi/n/neeef692960c6?magazine_key=mb57f73e298e2

 

 

 

私は、坂口さんの4歳の頃

「僕は実は迷子だったんです」と書いてあるのをみて、

じわりと涙が溢れてきてしまい、幼少期のもやのかかったような自分の見ていた景色を思い出したのでした。

 

きっと、私も迷子だったんだと思います。

もしかしたら、今も・・?? (というのは今日はここでは置いておいて)

文中でのことは、まるで私の3~4歳のころの出来事を読んでいるようにも思えて。

 

私は3~4歳のころ、

他人とうまく関わることができなくて、大人からすると、

人見知りで頑固でいろいろとにかく大変だったそうで、

時に発狂めいた行動をとるし、ときに硬直して何時間も身体から離れなくなったりするなど、

母は何度も私を抱いて川に飛びこもうと思ったか、とか言ってました。

私が寝静まってから、この子をどう育てたいいものか、

よく姉二人も交えて家族会議も繰り広げられていたそうな。。

 

まあ、そんな幼少期でしたから、

母は、私を公立のみんながいく年齢ごとのクラスの幼稚園ではなくて、

3歳から見てくれる、いろんな年齢の子をまじえてクラスを構成している

少人数の遠くの幼稚園に通わせることにした。

 

そこで出会ったのが、

「うろたんけ うどんあ」

 

「けんたろう」という名のちいさな居酒屋を近所で営んでいた家の子供だった。

彼は、1つ上の幼稚園の同じクラスのあんどう けんたろうくんといいました。

 

おそらく、

なにかと泣きべそで笑わない、眼力だけはするどく周囲を見回していたような子だったらしい私のことを、なぜか、なにかと気にかけてくれて、

幼稚園でも、幼稚園が終わっても、よく遊んでくれていた。

 

ある日、早口で「うろたんけうどんあって知ってる?」って聞いた。

???

「僕の名前!反対から読んだら、うろたんけうどんあ!!」

 

私はなんか、ものすごい魔法の言葉を聞いたように、

雷に打たれてみたいな衝撃を受けた、、、ような気がする。

うわ~すげぇ!!!って思った。

なんか、感動した。

 

反対から読んだだけなのに、なんだ?この音から湧き出る魅惑の響きは・・

そんなような感覚を抱いた。

 

そして、彼は、だからまきちゃんは、「こきまやまは!!」

って私に言った。

 

!!!!!!!!!

 

この、衝撃たるや・・・・

 

なんで、私のは、うろたんけうどんあ、みたいに淀みなく流れる感じじゃないんだ、、、、

なんだこの、細切れに切れ切れな響きは。。。

言葉にはならなかったけれど、そんなふうに感じたと思う。

 

こころから、私もあんどうけんたろうという名前になりたいと思った。

なんで私は、うろたんけうどんあ、と自分のことを呼べないんだ、と愕然とした。

それだけは、どうしたって、死なない限り無理なんだ、、って。。

 

だから、私は「こきまやまは」って言い続けた。

家に帰っても、自分のことを、「こきまやまは」と呼んだりした。

 

そうしたら、だんだん、淀みなく言えるようになって、

なんだか、淀みなく流れていて、こきまやまは、もなかなかいいなって思った。

 

 

 

私は彼のことが大好きだった。

やさしくて、なんだか、安心できて。

きっと、私は、家以外で唯一笑っていたんだと思う。

思い出すと涙が溢れてくる。

やさしいお兄さんのようなけんたろうくんは、それくらい私にとって大切な場だったんだなと今おもう。

 

「うろたんけうどんあ」のこと以外、何をしたっていう記憶はとくにないのだけれど、

ただ一人、私の中で心を許した相手だったような、感覚だけが鮮明に残っています。

 

5歳になって、彼が卒園したとき、

私は、とっても寂しかったけれど、でも、同時に、強くなったと思います。

心の中に、けんたろうくんを抱えたまま、過ごしていたから。

いまでも、彼が、私の中に住んでいるんですね。驚き。

 

 

私がうまれてはじめて自覚した、家族以外の人からもらった

「やさしさ」「安心」「笑顔」だった。

彼といるときは、私は、自分の邪悪で意固地な部分じゃなくて、

可愛くて素直で明るい自分に会えた。

 

ありがとう。うろたんけうどんあ。

 

誰かに手を差し伸べること。

 

その原点を思い出させてもらった、坂口さんの記事でした。

坂口恭平さん、流れを、ありがとうございました‼️

そして、渾身の手紙による学校、入学してよかったーー😍

 

 

 

ところで、うろたんけうどんあ のけんたろうくんは、

今頃どうしているのかな。

小中学校は同じだったけれど、一言も声を交わしたことがなかったな。

ちょっとオタクっぽい感じだったなぁ。

息子の名前をつけた居酒屋けんたろう、行ってみたかったな。

 

やだ・・😭😭😭

 

まだやってるじゃない。。

炉ばたけんたろう・・・

https://r.gnavi.co.jp/pewxdspm0000/

 

情報はすくないけれど、Google マップでみると、まさにけんたろうくん家だった。

ママが一人で切り盛りしてるってそっちには書いてあった。

けんたろうくんの奥さんかな。ご親戚かな。

お母さんがまだやってらっしゃるのかな。

 

次に実家に帰省したとき、行ってみよう。

だれか、一緒に、行って・・・。

あなた、そうあなたよ笑

一緒に行こうね。

自分の中だけで止まらない

ジャスチャードローイング4日目

 

今回のモデルさんは、筋肉がしっかりついていて、

トライアスロンでもされる方なのかな、という印象。

アクロバティックなポーズばかりで、難しいっっ!!!

難しくて形捉えるの無理か、、、と諦めそうになるけど、

果敢に手を動かす。

すると、ちょっとだけふわりと浮かび上がってくるような。

 

筋肉の付き方に目がいってしまって、筋肉の凹凸に萌えている自分に気がつく。

筋を描きたくなって全体を捉えられなくなって、

気がつくと時間がおわってしまう・・

でも、私が感じたのは、

鍛え上げられた筋肉がピン!と張っている瞬間をキープしようとする

圧みたいな緊張感。

息を詰めて徐々に体温が上がっているような肉体。

それを表現できたらいいなぁ。

 

憧れのダーマトグラフ

あの紐をピリってやって、くるくるっと紙の皮をむくと芯がでてくるやつ。

つかってるけど、これだとほわってしてしまうかな。

今度、違う筆記用具でやってみようかな。

そういう問題じゃないかもだけど・・

まあ私は下手くそな素人だから、

なんでもやってみて、試しながら自分なりのやり方を見つけられたらいい。

 

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今日いただいた言葉より。

 

自分の中だけで止まらない。その意識を持つこと。

 

責任を持つこと。

責任とは、responsibility   「response反応する、応答する」状態のこと。

 何かしたから、やらかしてしまったから、

だから責任をとる。ではなくて。

他者に関わる、応答する、それがすでに責任がある、ということ。

 

フローとリズム

ジェスチャードローイング3日目

これ楽しい!!

絵心がなくて有名な私だったのに、

何かの形を捉えて描くのが楽しいと思えるなんて。

どういう動機で始めるかが大切だね。

 

エネルギーの流れ、リズム感を感じてとらえてみたい。

それを描いてみたい。

それが目的。

 

1分は流れをとるので精一杯。

いつも上半身が間に合わない。

下半身を描くのが好き。

というか、お尻の丸みに1番に目がいくから

そこから太腿への流れを描きたくなる。

腕はちょっと疎かになる。

全体の形をまずは大きくとらえることを今日は意識して

手脚を描き足していくようにしてみた。

肩、腕、首、頭部 の身体をもう少し正確に捉えたいな。

 

 

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このお楽しみは、毎日投稿してみたいと思います。

 

 

いろんなお絵かき

茜染めの染料を煮出しました。

今度、幼稚園の子どもたちと茜染めするための実験。

染料で絵を描いたらどんなふう

になるかなぁ。

 

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3歳〜5歳の子たちがやったら、どんな絵ができるだろう。

いろんな形に紙を切って、のせて、液をたらして、乾かして、

を繰り返してみた。

昨年、絞り染めをみんなでやったときも、

予想外の結び方、予想外の楽しみ方をしていたから、

今度は、どんな予想外が繰り出されるだろうね。

たのしみたのしみ。

 

絵といえば、、

きのうから、ジェスチャードローイングとやらをはじめました。

アニメーターやイラストレーターの方のツイートを度々見かけ、

クロッキーの写真が出てきていたのですが、

絵を描くのが上手くなりたい、という動機ではなくて、

身体のエネルギー、フロー、リズム感を捉えるのが面白そう!

ということで興味を持ちました。

こういうものを描くのは初めてなので、

モデルさんがポージングしてくれる動画などがあることも今回初めてしりました。

自分の写真に入っている友人たちの姿を初めは描いていたのだけど、

なかなか良い題材が見つからない。

 

これがなかなか面白いです。

身体を見て、エネルギーの流れや美しい角度などを瞬時に捉えるのが楽しい。

ボディワーカーとしての私がしていることでもあります。

それを、絵で描いてみる、というのは、

ボディワークのアプローチのヒントを得られそうな感じ。

 

まあ、というよりも、次々に限られた15秒から数分の制限時間内で描いていくのは

集中してあっという間に15体以上の肉体に触れている感じ。

毎日つづける。

 

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15秒はあっという間すぎた笑

 

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人間の曲線って美しい。

この丸み、曲線を描きたいって思った。

流れるエネルギーを描きたいと思った。

「まちきゃん」の ものがたり

ここでばったり出くわしたらいいのに。

そして、いま泣いてしまった理由を伝えられたらいいのに。

 

見つからないように。

知られないように。

それと同じくらい、以上に、目の前に現れたらいいのにって思った。

なぜ私は、この道をあちら側に曲がらずにいるのだ・・・

なぜ、あの家にいかないのだ・・・

 

改札を出て、外に出てもマスクを外せなかった。

マスクのせいで息が苦しいのかどうか、わからない。

 

 

あれ以来はじめて、降りる駅を間違えた。

この駅、この道、この明るさ、このお店。

知っているのに、ちょっと迷った。

 

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東京都美術館でやっていたオラファー・エリアソンの展示「ビューティー」より

 

なんか、これまでで今が一番、思い出が色濃くなっている。

これだけが入っている箱があるんだ。

それは、何にも影響されないんだよ。

たとえ私自身でも、その箱に他のものを入れることはできないの。

この箱は、この箱。大切な箱。

 

箱、ちょっとなくなったかと思ってた。

というより、、何か、見えなくなる扉の向こうにしまわれたことにした。

のだけど、ちがうね。

 

なくなりはしないのだよ。

本棚に並べられたお気に入りの本のように、

読み終えた本も、これから読みたい本も、何度も読み返す本も、

おなじところに置かれていくよ。

 

 

そんな風なちょっぴり淡い私の気持ちがあることを、

隠さず、飛び越えず、「みる」ことにした。

 

そして、この気持ちを、しっかりと、肚に納めてみようと思った。

それは揺るぎない私の力になるだろうと思う。

 

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※タイトルが意味不明かと思われるでしょうが、

私のような私じゃない人の、ものがたり。

肚感覚をはぐくむ

今夜はこんなものをオンラインで受けていました。

 

ガット・ウィズダム

〜肚(はら)の叡智をつかって、失われた直感と洞察を取り戻す〜

https://h-potential.org/post_program/gutwisdom/

 

講師は、私のボディワークの先生でもあるので、

これまでに学んできたなかで教わったことでもあるのです。

ですが、、

ボディワークをやっている人向けではなく、

一般に開かれた講座であるので、

とてもわかりやすく、日常ですぐに捉えやすい内容で、

改めて、初めて受けたような気持ちで受け取ることができた様に思います。

 

でね、今日は2回目だったので、

参加できなかった1回目のアーカイブを昼間に視聴したのです。

 

そこでやった身体に丁寧に意識を向けていくワークをやり、

その感覚を、絵で描いてみることをしていた時、

なんだか、とめることができない涙が溢れてきたのです。

もうずいぶん前に通り過ぎたと思っていた出来事を思い出し。

もう乗り越えたと思っていたその顔を思い出し。

今でもずっと私の心にはぽっかりと傷がのこっていて、

むしろその悲しみや罪悪感や寂しさが、

どこにも行けずに残されていた。

どころか、知らないうちにまた増幅していたような。

本当はまったく乗り越えられていなくって、

ずっと立ち止まったままだったこと。

本当は毎日の様に思い出していたこと。

いろんな人にたくさん助けてもらって、

そのときに、前向きな視点をたくさんもらえたから、

大丈夫だってやってきたのは、「つもり」だったこと。

表面だけで、内側はぜんぜんだった。。

 

誰の意見やアドバイスに惑わされることなく、
自分の中にある状況をまっすぐに知るきっかけになった。

 

情けないし、そんなんじゃ前にすすめないし、

いやいやそんなことないし、、

ってね、そうやって放り出したつもりだったね。

けど、放り出したボールにはなが〜〜いゴム紐がついているっていうね・・・

練習用のテニスボールみたく。

 

そうして、2回目の今夜のセミナーでは、

より、肚を感じ育むためのエクササイズをしました。

それは、畑にいったり、山に登ったり、外にでていったりしなくても、

土に触れているのと同じ様な肚感覚を思い出すことができた。

 

あーー。

私には、この、いろんな感情を受け止めてくれる器が

ゆらゆらとして、なかなか力強さを思い出せなかったんだなぁって実感。

 

放り投げるんじゃなくって、外に開放するんじゃなくって、

肚に納めていく。

どんなに揺れ動いても、どっしりと受け止められる中心点を置くこと。

 

毎日やる。