サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

混じり合うハグ

ブログ100日への道、4日目。

昨日の話の続きになるかは分かりませんが、、、

書き始めてみます。

リンクしている様な気がしています。

 

混じり合うハグ。

 

一昨日と昨日は、こんな会を催し、参加しておりました。

https://www.facebook.com/events/198142787996404/

Bar白と黒と極彩色。

月1回、友人とともに、おむすびとおつまみとお酒のお店、

Bar白と黒というお店をシェアカフェで出店しています。

 

今回は、そこで「音楽をする人」として、

友人の澤祐典さんが名古屋からやってきてくれて

極彩色な時間となりました。

澤さん曰く、裏テーマは「孔雀たちのララバイ」

 

あなたも、あなたも、そちらのあなたも。
大いに唄い、踊り、飲んで、来た人みんなが孔雀になる、極彩色の夜になろうかと思います。」

 

まさにそんな夜になりました。

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Bar白と黒に、音楽が入った。

それだけで場が立体的になって、

もののけ姫のこだまのいるシーンみたいに、

そこらじゅうで喜びが弾け飛んでるみたいだった。

いつになく私もご機嫌で、おにぎりを握る手も踊っていたようです。

 

そして、完璧なタイミングでやってくる人がいて、

帰ってゆく人がいる。

その度に、ステージの幕が上がっては引かれてゆく。

 

まるで、そこには、結界が張られていた様だった、

と言ってくれたお客さんもいた。

だからこそ立ち上がった人の輪がありました、と。

 

 

そして一夜開け昨日の「春立つ円坐」

https://www.facebook.com/events/2822873314471883/

 

円坐とは何か、というのは、私には分かりませんし言えません。

輪になって座り、話したい思いが湧いてきたら話し、

そうでなければ話さなくともよいし。

ただそこに、言葉を「たどってくれる」守人がいてくれている。

昨日「音楽をする人」だった澤さんが、今日は守人として。

 

「たどってくれる」人がいる、ということは、

とても安心するのです。

写真を撮ってくれているみたいなんです。

あとで見返して、あのときこんな顔してたんだぁっていうみたいに、

思い出してたどってくれた話を思い返したとき、

私、このことについて、こんな風にも感じていたんだぁ、って発見する。

 

じつは、う○ちにまつわる体験が、なぜだかたくさん思い起こされて、

たくさん話したのです。

 

幼少期のころのおもらしや、もよおしてしまうこと。

子供の頃の友達と交わしたピュアで厚い信頼を寄せていた友情のこと。

嫌悪感をもってその言葉を使った話もあった。

 

創造の喜びや、なにか大切な、生命に触れるような感覚が

そこにはあったように思います。

心地よさと嫌悪感が同居している、けれどそれは愛おしさにも繋がっていた。

 

どうやら、

この行為には、私の安心感の表現のような

本当の望みを伝えるすべの様な、

そんな気がしてきました。

結界を張っている、というと言い過ぎでしょうか。

昨日のタイトルに無理やりに結び付けようとしているのではないのですが、、

 

 

混じり合うハグ、までたどり着けるだろうか・・・

 

よし、飛び越えて書いてみよう。

 

 

昨日、薄い結界をはったまま、ハグしていた自分に気がついたんです。

これまでの自分は。

でも、昨日、きっと生まれて初めて、

混じり合う様な、自分が委ねることも、相手が入ってくることも

同時にゆるしてハグをした。

相手とひとつになったようだった。

気持ちよかった。

 

それは、まっすぐにあらわした怒りを、受け止めてもらう体験をした後でした。

リアルな喧嘩ではないのですが、ワークを通して。

 

これまで、我慢して、自分自身を力のない存在にすることで自分を守ってきた私は、

怒りを表すことができなかった。

私の怒りでは、相手の正論に太刀打ちできるはずがないと思っていたし、

初めから負けのポーズをすることで、

自分自身の繊細な部分に入ってこれないよう、

結界を張っているようでもあった。

 

けれど、

自分の力を使うことで、

「入ってくるな。やめろ」と声を出すことで、

目からのエネルギーで、

怒りをまっすぐに伝える。

それは、何よりも強い結界になるのだと思った。

 

いつでも私は自分の力で、必要な時に自分を守ることができる。

 

その体験は、

いつも薄い結界を使って怯える必要はないのだ。

ということを教えてくれた。

 

無意識に張り巡らせていた薄い結界が崩れた私。

その後に協力してくれた友人としたハグは、

今までにないくらい、混じり合う様なハグでした。

とてもとても嬉しかったです。

 

この数日で起きたことは、

もう少し見つめてみようと思います。