サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

ほっかほかの焼きおにぎり

今日は、ながいなが〜いスペシャルコースを受けてくれるお客様のために

ちょっとした軽食を用意。

きょうはこちらのsalonサヤの私。

https://www.salonsaya-therapy.com/salon

 

できることぜんぶもりもりに詰め込んだ、おまかせコースは、

ちょっとした半日リトリートのような気分で、

ゆっくりと過ごしていただきたい。

そうしたら、お腹もすくでしょう。

だから、いつもこのコースだけ、特別に、小腹用の食事を。

 

今日は、焼きおにぎりとオクラと海苔のお味噌汁。

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大好きな焼きおにぎりの極意。

・いつもより気持ちしっかりめに握る。でも基本はふんわり空気を含ませて。

・大きくしない。ちょっと小ぶりがちょうどいい。

・タレにほんの少し油を入れる。

 香り付けと、くっつき防止のため。

・焼いてる間はコンロから離れない!こまめに焼き加減をチェック。

・タレはお好みで。

 私の好みは、少しとろみのついたタレにすると、

 染み込み過ぎず、表面に残り過ぎず、という絶妙なバランスに。

・今回のタレは、

 出汁醤油、ごま油、美味しい出汁(粉でもタレでもお好きなものを)

 

こうすると、美味しい美味しいホッカホカの焼きおにぎりができるよ。

焼き上がったら、紫蘇の葉っぱをちょっと添えて。

 

おいしかった〜〜〜
私もトリートメントでお腹がすくので、いつも隣で一緒に食べます😆

 

寝る前に、植物たちに話しかけて寝よう^^
最近、育ちがよくて嬉しい。

6月7月は、長雨のせいか、葉っぱの色が薄くなって元気がなかった。

お日様が出ている時にちょっと外に出してあげても

なかなか元気になれなくて。

思い切って、色が薄くなってしまった葉っぱは取り除いてあげて、

様子をみていたら、ちっっっっちゃい芽が出てきたの。

8月になって梅雨明けしたら、

他の3つの植物たちもぐんぐん元気を取り戻し、

最近やっと、新しい葉っぱ、新しい芽がどんどん出てくる様になりました!

いつもなら7〜8月にぐんぐん育つのだけど、今年は今が盛りだ。

家の中にいても、外気の様子に影響を受けるんだね。

そりゃそうか。人間もそうだもんね。

 

 

 

 

 

 

 

なまんだ〜なまんだ〜

9月になりましたね。

秋の気配。台風も。

空の様子も変わってきているし、

そうなると、心の中もすこ〜ししっとりと繊細になっているようにも感じます。

 

久しぶりに絵を描きました。

こんなときは、鉛筆で繊細に繊細に・・・

友人にいただいたお花を❤️

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揺れますね。

心がゆ〜らゆ〜ら揺れるきょう。

最後まで落ち着いて鉛筆を握っていられず、ここまで^^

 

南の方では大きな台風が。ちょうど旧盆のなか日なのだそう。

そして、東京もなんだか曇り空で。

宮古島にいる友人とやりとりしていると、

旧盆と大型台風で、なにやらあの世とこの世の境目みたいなものが

ゆらゆらと曖昧になっている様な感じがした。

 

私は実家で過ごしていた子供の頃は、

それほどお盆のときにしていることはあまりなくて、

お寺にお参りについていくくらい。

お盆は夏休み。という認識しかなくて・・

 

だから、なんだかこれまで以上に、「お盆」を過ごしたような感覚になった。

数十分のラインでのやりとりだったけれど、

思わず、手を合わせて「なまんだ〜〜」とつぶやいて、
亡くなった祖父母たちのことを思ったら、涙が溢れてきた。

 

「なまんだ〜なまんだ〜」って、祖母が亡くなった時、

認知症がすすんでいた祖父が、お骨に向かってそう言いながら

手をすり合わせていた姿をとてもよく覚えている。

今思うと、あの時の祖父は、なんだか、

言葉にならないあらゆる存在や時間や思い出や、

そんなものへの有り難さに頭を下げて祈っているように感じる。

その姿を思い出して、「なまんだ〜」って声に出してみたくなったんだ。

そしたら、泣けてしまった。

 

北海道までお墓参りになかなか行けないけれど、

折に触れて、こうして手を合わせて触れ合おう、と思った。

 

思えば、8月のお彼岸のときも、

今年は、「円坐 影舞 送り盆」と題する会に参加していて、

これまでのどの年よりも、亡くなった方やご先祖様に想いを馳せていた。

 

 

少し前にテレビでやっていた「コクリコ坂から」の音楽が今、流れています。

すごくよかったなぁ。

コクリコ坂。

こんこん、って懐かしい風景を連れてきてくれたみたいで、

じ〜んとあたたかい涙がしっとりと頬を濡らすような、そんな映画。

いまのゆらゆらな感じに寄り添う。

 

最近観た映画、じつはいくつかある。

これからひとつひとつ感想を書いてみます。

 

 

けはい

なんだかちょこちょことブログを読んでくださっている。

しばらくおやすみしていたのに、

投稿するとちょっとずつアクセスがあって、

日々、他愛のない日記なのに、読んでくれてるとしたら嬉しい。

有り難うございます。

 

連休中は、新潟へ。

蜜とは真逆の人っ子ひとり見かけないような里山です。

お世話になっている方の場所に滞在して、

農作業やらお手伝いを。

とはいえ、今回は雨続きで、あまり作業はできなかったぶん、

ゆっくり場と交流しながら、太鼓たたいて歌ったりする時間もあり、

しっとりした雨の中でピーマンやししとうを収穫し、

地元の魚やお野菜を使って、

毎食自分たちでご飯をつくり、ゆっくりいただいた。

 

ここは、日本の原風景のような、里山です。

見渡す限り、草木と田んぼと山々で。

そして鳥やカエルや虫の音に、

そばを流れる小川の音、雨の音・・・。

 

そしてここは車で15分ほどの場所。

映画に出てくるような、それは美しい場所です。

 

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こういうところにいると、言葉がいらなくなる。

たくさんの生き物たちの気配が充満していて、

言葉を発せずにずっと耳をすましていたくなる。

そんな中で、一緒にいた4人で、うたった。

その瞬間、出したい音程、出したい声、出したい大きさ。

呼応するように、雨もパラパラ降ってくる。

いろんな生き物の音が聞こえる。

けはいの中に、溶け合うような感覚だった。

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日本一おいしいところてん🌀

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日本一美味しいところてん

と書いてありました。

ほんとうに美味しかった!!!

1本の箸で上手に真ん中からすくって食べるのだ。

ナチュラル鬱?!

最近の身体の気付きについて。

 

2年くらい前から定期的に通っている身体のお稽古がある。

自身の身体を心地よくしたりほぐしたりどうこうするのが目的ではなくて、

自分以外の他者との関わり、働きかけの意識をもつ身体を育てていく。

(他者とは、人間だけではなく自然を含めた自分以外のもの)

 

この間、久しぶりに受けた稽古で、

2年間ずーっとわからなくて、どうしたらいいのかずっと変えられなかったことがあった。

それが、客観的に少しわかったような気がした。

あくまでも、気がしただけだけど。

それが正解かは自分で身体実験しながら掴んでいくしかないから。

 

気づいたことは、
首から上の身体と目の使い方の違い。

真剣にやろうと、言われたことを取り入れてそのようにやってみようと、

すればするほどに固まっていき、

何をどうしたらいいかわからなくて空回りしてばかりだった。

久しぶりにみてもらっても、

なんにも変わってないよ〜〜笑、なんて言われる始末(苦笑)

 

それが、この間、急に、あ!!と気がついたことがあった。

感覚的には、

「フェイスシールドを自分の顔に付けて、

自分は周りの様子をじーーっと観察している。

でも、周りからは自分は見えていない、「安全」なところにいる。」

そんな感じで、外界に恐れを感じて、監視し、防衛していた、

ようです。

自覚はあまりなかったけど、身体はそうしてた。

 

そういうとき、目が、四角くなってるんだって笑

観察していた友人曰く。

首から下はとりあえず置いておいて、首から上を終始緊張させて

危険はないか、と監視しながら生きているみたいな感じ。

 

そのことに気がついてから、普段どうしているか自分の身体を観察してみると、

けっこう、終始その使い方してた!!
寝てる時でさえ!

驚愕・・・

 

表面的な見た目の姿勢はまっすぐしてるんだけど、

内部の細かい筋肉が緊張してる。

首から上の中の空間がべちゃっとして失われている感じ。

風通し悪い。

とにかく、外界とシャットアウトして閉じてる。

 

びっくりと同時に、

身に覚えがあるから、意識的に変えてみてる最中です。

 


ボディワークとかリーディングやる人に、
あなた疲れてるって言われることが多かったのだけど、
たーーっくさん休んで寝ていても。
だから、さらに休んでも、まだ言われる。

いや疲れてないし、、、意味がわからなかった。

 

けど、意識的に使い方の癖を解除してみたら、

「疲れ」を実感しはじめました。

頭部にやっとこ開きはじめた穴から、

どわ〜〜〜って染み出してきた感じ。

 

身に覚えがあるこの感じ、

実は、長年、小さい頃から使ってきた感覚であるし、

第2弾として強化したのは、自分がボディワークを学びはじめて

心と身体のつながりについて教わっていた先生に出会ったとき。

目の使い方が引っ込んでる、というか、自分を隠している、

みたいなことを言われて以来、意識的に、目をパッチリ開いて

オープンにしよう、と試みた結果。

 

おもいしろい。

 

このため込んできた「疲れ」に気がついたら、
かえって気になって眠れなくなったり。
出来るだけ誰にも会いたくない、とか。

動きたくないとか。

鬱じゃないの?!これ。
この癖を使いはじめたのは、おそらく3歳くらいからじわじわと、

20代後半で強化されて、

そこから長期的なナチュラル鬱、ナチュラル引きこもり、

だったのではなかったか、、と。

20代30代で、お酒をやたら飲んでは発散していたのも、

よくわかる。

まあ、自分にレッテル貼る必要はないんだけど、

なんか、うつ状態をずっと普通に続けてきた、

そしてその状態を外からは悟られないくらいには長けてきていた、

内的にはずっと鬱を抱えてきた。

とすると、

なんだかとても楽にちからが抜けるようになってくる気がするんだ。

 

ふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

大好きなお米を土鍋で美味しく炊いて、

お昼ご飯をつくろう。

お米だいすき、炊きたてご飯だいすき、

私の「鬱」のお薬だ❤️

 

そして今夜は、

大好きな人たちと、グループ通話でお話するんだ。

楽しみ。

最近、私が数少ない会いたいとこころから思えるひとたち。

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還暦をむかえる

今日は北鎌倉にある、東慶寺というお寺に行ってきた。

以前にも一度、暑い夏の日に立ち寄ったことがあるんだけれど、

今日は雨上がりの後の、しっとりとした、たまに吹く風が気持ち良い日。

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今日の思い出の一枚を描いた。

 

 

初めて足を運んだ時と、今日では、

別の場所かのように、まったく印象が違って感じた。

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すると、入り口に看板が。

Facebookページがあったので、そこから引用させていただきます。

 

東慶寺の境内には、数多くの梅、四季折々の山野草、そして北鎌倉の湿潤な気候により、様々な種類の苔が自生しています。
しかしながら、近年では台風や豪雨により、倒木と土砂崩れが多発し、樹齢数十年しか経っていない梅も衰えが見え始め、境内の大地全体が弱ってきていると感じておりました。

この度、「NPO法人 杜の会」の矢野智徳氏とのご縁をいただき、矢野さんご指導のもと、東慶寺境内の再生活動をおこなう運びとなりました。
自然と人間が寄り添い、共存できる環境を目指し、北鎌倉の風土と気候に適した境内環境作りを進めていきたい所存です。

 https://www.facebook.com/media/set/?vanity=shokozan.tokeiji&set=a.2780204608752700 

 

なんと!!

数年前に、矢野さんの体験講座のようなものに、参加させていただいたことがあった。

その時以来、大地の再生のこと、土中環境のことが、

じわじわとずっと心の片隅にありながら、

ここ最近、また、より明確にもっと知りたい体験したい、と思いはじめていた。

 

そんなことを知らずに連れてきてくれた友人に感謝!

 

ゆっくりと境内を歩きながら、

人間が丁寧に手をかけ、隅々に意識が行き渡り、

ともに育みあっていっているかのような印象を受けた。

 

人間は、60歳の還暦のときに、

「生まれたとき(赤ちゃん)と同じ暦に還る」というが、

長く生きてきたこの森のようなお庭が

必要な修繕などを行って息を吹き返し生まれ変わり、

まるで還暦を迎えているかのような気がしました。

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瑞々しくふかふかな苔

弱っていたであろうところに適切に手を加えられている様子

咲き終えた紫陽花の花が、根元に寄せ集められ、

養分としている様子、

お墓があるエリアは、ラピュタにでも出てきそうな様子で、

草木や苔があたり一面を覆ってどこか幻想的でひそやかに守っている感じがした。

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御本尊のある御堂の椅子に座って

しばし休憩していると、

鳥の声、虫の音、風、池で遊ぶ鳥、飛行機や電車の音、

いろんな声が充満していた。

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雄弁に語っているようにも聞こえたり。

そして、となりで静かに話をする友人も、

鳥の声、虫の音、人の声、風や水の音、と並列の存在として

私の中に染み込んでくる。

頭が理解できる言葉は限りなく少ないのだけど、

たくさんの「ことば」がきこえてくるようだった。

友人が沈黙していても、言葉を発せずとも

語っている声が届いてきている、と思った。

 

都会では、そんな声たちが、いろんなものにかき消されて無言になっていたり、

届かないように感じてしまう。

きっと、都会の中ででも、たくさんの「ことば」が満ちているのかもしれない。

こんな風に、自分自身の考えや内的な声だけじゃなく、

ゆっくりと、いろんなものの声に耳を傾けられる余裕を、持っていたいな。

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自宅の窓から見えた曇り空。

最近、なかなか梅雨明けしないどんよりした曇り空も、

好きになってきた。

 

 

https://blog.tokeiji.com/

東慶寺のブログ。

きっと素敵な住職さんなんだろうな。

画面越しからも伝わってくる。

 

https://iroridanro.net/?p=50070

東慶寺の大地の再生のプロセスが、丁寧に記録されています。

忘れるチカラ

私はよく物事を忘れる。

そして同時に、なかなか鮮明に細かく覚えていることもある。

そのことを、私はこの1年くらいで気づかされた。

というか、はっきり認めた。

自分は、よく忘れてしまうんだ、と。

 

小さい頃、よく忘れ物をするタイプではなかったし、

勉強の記憶力もかなりよかった。

教科書を一度読んだらすぐに文章を覚えてしまうような。

小学生まで、、、ですが。

 

きっと、小学生のときに私の記憶力は使い尽くされてしまったのではないか。

 

 

私は今、ちょっとだけ気がかりなことを、どうしても思い出せずにいる。。

でも、今このタイミングでは、そのことを聞ける相手でもなく。

とても大事なことだったはずなんだけど、

もうどうしたって思い出せない。

そういうときは、

「まあ、それ(忘れてしまうような)だけのことだったか」

ということにしてきたのだけど。

これは思い出したいのだけど・・、

でもなぁ、それでがっかりされても仕方ないか。

私はそういう人です、ということだ。

そのたびに今までだって、謝ってきたじゃないか。

そうして「あぁ、この人はすぐ忘れる人だった」

とインプットされていったのだから。

 

けれど、何故なんだろう。

この忘れるチカラは。

 

思い出したら、過去にも実はたくさんあったような気がして、

自分で認めていなかったから、

本当に自分はどうしようもないと思っていたし、

今回だけだ、と毎回思ってきた・・・。

 

「あなた、あれはどうなった?」と聞かれても、

ピンとこなかったり、

職場で忘れないように、とメモしはじめたのに、

メモしたことすら忘れてしまう。

他の人からしたら、忘れてるわけないでしょ、ということがポッカリ抜けてしまうので、

先輩には、反抗してる、言うことを聞かない、と

上司に相談されていたようでした。トホホ・・。

 

この時に、自分はなんてバカなんだ、、ってならないで、

そういう体質を私自身で認めていたら、

お互いに気持ちよく働けるように工夫できただろうな。

 

 

 

じゃあ、忘れないでいられることってどんなことだろう。

というか、私はどのように物事を記憶しているんだろう。

 

おそらく、体験することによって。

 

見ても聞いても読んでも忘れる。

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見ても聞いても読んでも忘れていく、感じ

 

でも、きっと、体験して感覚で掴んだものは忘れない。

だから、言われたことでも、「あぁ、本当にそう思う」とか

感覚としてもふに落ちたものは、きっと忘れない。

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ふに落ちた感覚のかんじ(よくわからない言葉だけど)

 

あー、そっか!

職場で先輩に言われたことも、心の中では納得してないことは、

無意識のうちに鼻から拒否していたんだろうなぁ、、、

反抗してるって言われるのは、事実だったのかもしれないな、きっと。

青かった私・・😅

自分が納得できるまで確認したり、意見を交換したり、

相手の言うことをまずはジャッジせずに受け取ったり、

したらよかったなぁ。

 

けど、、今だってそれが難しいんだ。

言葉の外に出てくるナニカ、を察知してしまうと、

そのナニカのほうが気になってしまって、言葉はスルーしてしまうんだ。

 

言葉尻は覚えていないけど、

そのときの状況や顔の表情などは、しっかりと刻まれていたりする。

そのとき抱いた感覚なども。

だからもし、言葉とは裏腹に感じることがあると、

裏腹の感覚の方を記憶してしまうのかもしれない。

 

ところが不思議なことで、

自分が言ったこと、書いたこと、やったことも、忘れちゃってることがよくある😨

それは、きっと誰かの中に記憶されている、だろう。

だって教えてくれるもの。「そう言ってたよ、あのとき」って。

 

記憶というものは、お互いに保管しあっているのかな。

保管して、補完しあっている。

同じ貯蔵庫みたいなところにアクセスしてて、

共同で持ってるような。

だって、

そして、人間の中だけでなく、

どこかこの空間の中に、しっかりと保持されていくのではないかな。

なんてことも考える。

 

言葉にならないナニカについて、明日もかんがえてみる。

それから、自分でも気がついていない「鬱」的な何か、についても。

 

※絵は、このために書いたわけではないのだけど、書いてから、あぁ、この感じのイメージだなぁって思って、載せてみました。

 

息をしよう。

さーて書こう、テーマを決めずに書こう。

 

6月が終わり、7月に入っても、梅雨っぽい天気は相変わらずだ。

カラッとした晴れの日も好きだけど、意外と私はこんな曇り空の日も

悪くないな、と思ってる。

カンカン照りの真夏にくらべれば、暑さは控えめだし、

朝晩はちょっと涼しくて、エアコンもいらない。

なにより、しとしとと雨が降ったあとの散歩はとっても気持ちが良いよ。

緑が元気で瑞々しい。

まあ、ここにむっとした暑さが加わるとちょっと耐えられないけれど。

 

早寝早起きをしようと思った。

23時にはねて、6時には起きる。

ほんとは理想は、4時とか5時とか、そのときの日の出の時間に合わせたいのだけど。

 

ところが、まあ眠れない。

早寝だからというだけではないのかもしれないな。眠れないのは。

ちょっと最近の私は、なんだか胸がさわさわして、

お布団の中でいろいろ考え事してたり、

異国に旅をしている仲間のことが気になって、

よくラインで話をしてる。

読みかけの本が気になって、寝る間際になって、急に読みたくなったりして。

 

まあそんなこんなを乗り越えながら、きのうもやっぱり

寝よう!と覚悟を決めて目を閉じたのは1時すぎ。

そこからウネウネしながら、

きっと眠りについたのは、3時くらいだっただろうな。

それでも、やっとチャレンジ3日目にしてなんとか6時半には布団から出て来れた。

 

 

最近の興味は土。

 

土中環境、自然が教える農業のお手本、土と内臓

なんていう本を少しずつ読んでいる。

 

数年前にも、日本の森、土の中の環境の悪化をどうにかしようと

活動している方に出会って1日だけ一緒に作業を手伝いにいったことがある。

 

風の通り道。

とにかく、畑にも田んぼにも、脇の林にも、風の通り道を取り戻すのだ。

風を通すように草刈りをし、ときには炭を利用して土の中に空気の通り道を作る。

 

日本のほとんど全ての森や土地は、

コンクリートやダムで堰き止められてしまって、

風の通り道、要するに空気の通り道、水の通り道が

失われてしまっているのだと。

だから、森がどんどん荒廃していく。

呼吸ができないから、木の根は弱り、倒れてしまったり、

そこで生き残れる強い種の植物しかのこらなくなり、

多様性が失われている。

結果、豪雨がくるたびに、土砂崩れや洪水となる。

 

 

・・・苦しいよなぁ。

人間でいうと、

呼吸が浅くなって、血管が押し潰されて循環が悪くなり、

十分な水と酸素が体内の隅々まで行き渡らない。

乾燥し、顔色が悪くなり、肌艶も失われていくような、

長く続くと、病気になってしまう。

そんなことが想像できる。

 

 

「土中環境」によると、

豪雨の後でも、健康な環境であれば、

川に汚泥が流れ込むことも、増水したとしても川岸がえぐられることもないのだそうだ。

「気候環境の変化にさらされながらも恒常性を保持する」

それが健康な河川本来の姿なのだと。

雨が降っても、土中に雨や空気が浸透し、

呼吸するように、表層と土中が円滑に連動しているのだそうだ。

 

見えないことばかりの土中の水と空気の流れは、

いのちの営みに共通するフラクタルな法則性に基づくもの

 

いろんなことがあっても、何があっても

私たちは、息を吐いて、息を吸う。

呼吸をしよう。

肺と心臓をしっかりと使って、呼吸をしよう。

感情に巻き込まれたり、何かに怯えたりするなら、

そんな幻をいったん脇において、

心臓に手をあて、たしかにきこえる鼓動を感じ、

呼吸をしよう。

確かに感じられることから、触れて、ゆっくりとひろげて行こう。

 

早起きしてはじめにやる日課

あ、まだ日課になっていないけど、これから(笑)

すこし身体を伸ばして、しっかりと呼吸をする。

ヨガを知らなくても、ただ、「呼吸するために」呼吸をしよう。

 

 

とはいえ、、私は今、

葉っぱの艶が失われて元気のない、

ほんの15センチほどの高さのガジュマルの土中環境を、

想像し整えてあげることさえままならない。

話しかけてみたり、水のあげすぎにならないように気をつけて、

葉っぱには水を。これくらいしか思いつかなくて。

コケマルという名のガジュマルちゃんは、

気持ちよく呼吸ができているだろうか。