サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

息をしよう。

さーて書こう、テーマを決めずに書こう。

 

6月が終わり、7月に入っても、梅雨っぽい天気は相変わらずだ。

カラッとした晴れの日も好きだけど、意外と私はこんな曇り空の日も

悪くないな、と思ってる。

カンカン照りの真夏にくらべれば、暑さは控えめだし、

朝晩はちょっと涼しくて、エアコンもいらない。

なにより、しとしとと雨が降ったあとの散歩はとっても気持ちが良いよ。

緑が元気で瑞々しい。

まあ、ここにむっとした暑さが加わるとちょっと耐えられないけれど。

 

早寝早起きをしようと思った。

23時にはねて、6時には起きる。

ほんとは理想は、4時とか5時とか、そのときの日の出の時間に合わせたいのだけど。

 

ところが、まあ眠れない。

早寝だからというだけではないのかもしれないな。眠れないのは。

ちょっと最近の私は、なんだか胸がさわさわして、

お布団の中でいろいろ考え事してたり、

異国に旅をしている仲間のことが気になって、

よくラインで話をしてる。

読みかけの本が気になって、寝る間際になって、急に読みたくなったりして。

 

まあそんなこんなを乗り越えながら、きのうもやっぱり

寝よう!と覚悟を決めて目を閉じたのは1時すぎ。

そこからウネウネしながら、

きっと眠りについたのは、3時くらいだっただろうな。

それでも、やっとチャレンジ3日目にしてなんとか6時半には布団から出て来れた。

 

 

最近の興味は土。

 

土中環境、自然が教える農業のお手本、土と内臓

なんていう本を少しずつ読んでいる。

 

数年前にも、日本の森、土の中の環境の悪化をどうにかしようと

活動している方に出会って1日だけ一緒に作業を手伝いにいったことがある。

 

風の通り道。

とにかく、畑にも田んぼにも、脇の林にも、風の通り道を取り戻すのだ。

風を通すように草刈りをし、ときには炭を利用して土の中に空気の通り道を作る。

 

日本のほとんど全ての森や土地は、

コンクリートやダムで堰き止められてしまって、

風の通り道、要するに空気の通り道、水の通り道が

失われてしまっているのだと。

だから、森がどんどん荒廃していく。

呼吸ができないから、木の根は弱り、倒れてしまったり、

そこで生き残れる強い種の植物しかのこらなくなり、

多様性が失われている。

結果、豪雨がくるたびに、土砂崩れや洪水となる。

 

 

・・・苦しいよなぁ。

人間でいうと、

呼吸が浅くなって、血管が押し潰されて循環が悪くなり、

十分な水と酸素が体内の隅々まで行き渡らない。

乾燥し、顔色が悪くなり、肌艶も失われていくような、

長く続くと、病気になってしまう。

そんなことが想像できる。

 

 

「土中環境」によると、

豪雨の後でも、健康な環境であれば、

川に汚泥が流れ込むことも、増水したとしても川岸がえぐられることもないのだそうだ。

「気候環境の変化にさらされながらも恒常性を保持する」

それが健康な河川本来の姿なのだと。

雨が降っても、土中に雨や空気が浸透し、

呼吸するように、表層と土中が円滑に連動しているのだそうだ。

 

見えないことばかりの土中の水と空気の流れは、

いのちの営みに共通するフラクタルな法則性に基づくもの

 

いろんなことがあっても、何があっても

私たちは、息を吐いて、息を吸う。

呼吸をしよう。

肺と心臓をしっかりと使って、呼吸をしよう。

感情に巻き込まれたり、何かに怯えたりするなら、

そんな幻をいったん脇において、

心臓に手をあて、たしかにきこえる鼓動を感じ、

呼吸をしよう。

確かに感じられることから、触れて、ゆっくりとひろげて行こう。

 

早起きしてはじめにやる日課

あ、まだ日課になっていないけど、これから(笑)

すこし身体を伸ばして、しっかりと呼吸をする。

ヨガを知らなくても、ただ、「呼吸するために」呼吸をしよう。

 

 

とはいえ、、私は今、

葉っぱの艶が失われて元気のない、

ほんの15センチほどの高さのガジュマルの土中環境を、

想像し整えてあげることさえままならない。

話しかけてみたり、水のあげすぎにならないように気をつけて、

葉っぱには水を。これくらいしか思いつかなくて。

コケマルという名のガジュマルちゃんは、

気持ちよく呼吸ができているだろうか。