サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

「ころげ回りたいほどの喜び」

ブログ100日への道。73日目。

 

仲間とラインでやりとりしているときに、

「食べる」ことについて、「コトバ」について

話していた。

 

その中で、私はある本に書かれてあった文章を思い出した。

おう10年以上も前のこと。

15年くらい前かもしれない。

 

若者向けの教育系NPOに関わっていた時のこと。

いろいろな仕事をしている人たちに

インタビューにいって、それを記事にすることをしていた。

私は、今思い返せば、何十人も出会った方達の中でも、

土に触れる人、食べ物に触れる人について

残っている印象が強かった。

 

刀鍛冶職人さん、梅の黒焼きを作る方、料理人、

幼稚園の園長。

 

刀鍛冶職人さんは、青森県田子町にいらっしゃって、

田子町特産のニンニクを掘り出すための専用の刃物も作っていた。

ニンニクを傷つけないように楽に掘り出せる形のもの。

 

梅の黒焼きは、奈良の吉野の山の上で、

専用の窯の中で、梅を長時間いぶして作る大変貴重なものです。

 

そして、料理人の方は、

1日1グループのご予約を受けて、ご自宅でレストランをされている方。

「食べることは生きること」そう言っていたのが印象的だった。

 

幼稚園の園長は、山の中にある幼稚園を作った方で、

園児やその家族たちまでまるごと育てていくように、

畑の開墾、畑仕事もやっている。

 

子どもたちの手が触れた種が、みんなの手で耕した土の中で育っていく野菜。

その野菜をつかって作った芋煮は涙が出るほど格別の味がした。

あのときみんなの手の中にあった種が育まれて野菜になって

いま、私の舌が触れている。

 

あの丹精込めて鍛錬された刃物が触れ、掘り出されたニンニク。

 

 

どれも、濃い関わりの中で育まれたもの。

たくさんの手に触れられたものが自分の身体を通り抜けていくことが、

なんとも言えない嬉しさで飛び上がりたくなったこと。

うまく言葉で伝えられないのがもどかしいのですが、

冒頭で思い出した文章を当時読んだ時、

この感覚だ、、と感動したことを思い出した。

 

『おいしい を つくるもの  而今禾=jikonkaの道具たち』より。

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畑にいるのは、たった一人、自分だけなのですが、一人ではない、と感じたことです。とても説明し難いのですが、土から自分がはえているような土と自分がつながっている様な、そんな感覚です。そのとき、私は畑をころげ回りたいほどの喜びを感じました。

 

この一節を読んで本屋さんで涙がでてきたことを思い出したのです。

この感覚を、きっとずっと大切にしていきたい、と胸の中にしまった。

 

土から託されたコトバのような、想いのような、

そんなものたちに、いつも毎瞬毎瞬私たちは囲まれていて、

ずっと降り注いでいるんじゃないかな。