サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

自分のサイズ

ブログ100日への道。70日目。

 

今日は冷たい雨。

長靴を履いてスーパーに行った。

長靴を履いていると、雨でもまったくへっちゃらだ。

元気よく歩いても靴が濡れちゃう心配もない。

だから私は長靴が大好きだ。

カッパを着てたらなお最高だ。

自分のしたい様に身動きできるのって

とっても心地が良いものですね。

拘束されること、がなによりも辛いことだと感じます。

それは、物理的にも心理的にも。

 

物理的な拘束って、実は日常にたくさんあると感じています。

拘束、というほどのものではないかもしれないけれど、

微細に身体の感覚を拾ってみると、拘束だなぁって思うんです。

 

たとえばサイズの合わない靴。

素材があわない下着。

ぶかぶかの帽子。

チクチク肌に刺激のあるマフラー。

肩がこるほどに重いアクセサリー。

肩幅の広さや腕の長さ、締め付け具合なんかも、

ほんの少しのズレがちょっと気になることもある。

 

 

身に付けるものだけではなく、

食べ物なんかもたくさんあります。

舌触りのあわない食べ物。

妙な添加物の味のする食事。

口当たりの悪い食感。

 

などなど。

 

自分の感覚にジャストフィットしたものを身につけていたり、

取り入れているとき、

本当に心地よいなぁと感じる。

けれど、なかなかジャストフィットって巡り合えないものですね。

自分でゼロから作ったものでない限り。

ある程度の幅を持たせて、

この範囲であれば許容できる、という、

ある意味鈍さをもって受け入れているんじゃないかな。

 

身に付けるものや食べるもの、使うものや住むところ、

あらゆるものを、自分の手で生み出すのではなく「買う」時代ですね。

それはとても便利です。

得意な人が得意なものを作って交換するっていう意味でも。

けど、

平均化されたものの中から選ぶことになる。

売られているものの選択肢はとても多種多様にもなっている。

でも、自分にぴったりのものを選び出すのは至難の技。

それがないなら作ってしまおう!という人もいるでしょう。

それならオーダーメイドで、というやり方で販売している人もいますね。

 

 

特別なことではなくて、

自分で自分のものを作ることができたら、

最高ですね。

 

母が実家で一生懸命作っている、

家族のための手作り布マスクの写真を見て思いました。

大きいものから小さいもの。

父のもの、甥っ子のもの、いろんなサイズのマスクがそこには写っていました。

母なりの感性で、身に付ける人のサイズを汲み取ってつくっている。

それって本当にすごいことだなぁって尊敬しています。

 

縫い物一つで、指を何度も針で刺してしまう私としては、

まずは、食べ物を自分のジャストフィットに作ることから^^

暮らしている場所を、自分のジャストフィットに心地よい場にすることから^^

 

自分の手で生み出すことができる。

それをひとつひとつ少しずつでもいいから取り戻していきたい。

 

 

そんなことを改めて考えたのは、

尊敬する身体表現パフォーマーのなかええみさんによる、

今日のオンラインクラスでの講義「人体尺」について学んだことからでした。

https://eminakae.wordpress.com/online/