サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

声に出会う

ブログ100日への道。22日目。

 

昨日は、「万引き家族

そして、今日も2本の映画をみた。

入っていた予定が2件ともキャンセルになり、

やること済ませて、渋谷へ向かった。

 

友人が感想をシェアしていて気になっていた映画

「プリズンサークル」

http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/2991/

 

受刑者同士の対話をベースにした教育プログラムを導入している、

日本の刑務所でのドキュメンタリーだ。

パンフレットにこう書いてあった。

なぜ自分は今ここにいるのか、いかにして償うのか?彼らが向き合うのは、犯した罪だけではない。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、悲しみ、恥辱や怒りといった感情。そして、それらを表現する言葉を獲得していく・・・。

 

 

昨日の「万引き家族」とも繋がるような世界を感じた。

 

自分の内を表現するための声、言葉を探している。

己の身に起きたこと、刻まれたことを

どうにもできずに、奥底へと隠されていった「声」。

 

彼らの罪状や幼い頃の体験として出てくる

強盗や傷害致死、虐待、など私には無縁のように思うのに、

まるで無縁な人の話とは思えなかった。

 

出てくる登場人物たちは、みな、私だ。

これは自分自身でもある、という体感を伴って迫ってくるのだ。

 

 

寂しくて、孤独で、自分のことをわかって欲しくて、

自分の思い通りにしたくて、自分の居場所を見つけたくて、

この世から自分を消し去りたいくらい自暴自棄になってしまって、

封印された感情の矛先が向かったのが、

それを表すための選択が、犯罪になってしまった。

 

他になんでもよかったのだよね。

聞かれたがっているその声を救い出すためには。

 

それが絵や写真やダンスや歌であることもある。

ビジネスや旅やボランティアだったりも。

ありきたりな言い方かもしれないけれど。

 

その声は、「聞かれたがっている」。

その言葉は「触れられたがっている」。

 

きっとどんな手段を使っても、

その根底には、

「聞き」「聞かれる」という対話がどうしたって必要なのだと思う。

自分の声をあげること。その声を受け取るひと。

 

私は映画を通してだけれど、

受刑者たちの声を、私のものとして聞き、受け取った。

そして、いま、こうしてブログを書きながら、

「対話」をしているような気がする。

できることなら、彼らを抱きしめて応えたい気持ちがしている。

 

 

もう1本みた映画は、「うたのはじまり」

http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/3091/

 

 

なんだろうな。

テーマが繋がっていく。

 

ふと目に止まる。

ふと耳にする機会がある。

触れる時間を持てる。

そんなことの連続で、私は、自分がいま大切にしたいことの細道を

辿っているような気もする。

 

「うたのはじまり」のパンフレットにはこうある。

 

ある日、息子への子守唄が生まれた。“ろう”の写真家、齋藤陽道が、嫌いだった「うた」と出会うまでの記録。

 

自分の音声を持てなかった彼が、

声を伝えるためにたどり着いたのは写真だった。

彼の写真を見ていると、

音がきこえてくるようにも感じていた。

声なき声を映し出しているようにもみえた。

 

映画の中で、彼が嫌いだった「うた」に出会う瞬間、

身体から、全身の細胞すべてから漏れ出るように、

喜びが溢れてとまらなくて「うた」が生まれたように感じた。

 

「うた」は、もともと彼の中にあったのではないか。

うたわれたがっている、表されたがっている、うたの音が。

 

 

なぜこの3つの映画を立て続けに観たのかな。

この繋がりの先には、やはりこれがあった。

 

現在、私が関わっている音楽劇の創作WSのプロジェクトがあります。

音楽劇「そらのいろ は うみのいろ」

まずは、声を出し
自分の声を聞き、他者の声に出会い
思いを伝えていくことを恐れないで
助けることを躊躇しないで
 
ワークショップに参加するならば、ここにいる安心感を知って欲しい。
肯定感は、関わりから生まれ出ることを体感して欲しい。
そして、自分自身が他者を肯定できる存在であることを明らかに体現して欲しい。

 

演出・脚本・制作のなかええみさんから、

いつも、自分と他者との「関わり」を持つことについて、

大切なことをたくさん伝えてもらっている。

 

上記に引用したメッセージは、

あらゆる境遇にある人が、自分の「声」を見つけて

生きていくための、大きなヒントだと思っている。

 

生きること。それはすなわち、「人との関わりを持つこと」

に他ならないのかもしれない。

人の中に、自分が生きていることを見つけることができるのだから。