サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

そこに愛はあるのか?

ブログ100日への道。53日目。

 

声は、心に触れてくる。

声は、肌に触れてくる。

声は、身体の中へと染み込んでくる。

 

眼差しも。

佇まいも。

 

思っている以上に、

自分自身の在り方というのは、

相手に触れている。

 

 

 

友達の発案で、オンラインでいろんな実験をしている。

動画通話、音声通話、

音声通話で歌う、一緒に歌う、一人で歌う、楽器の伴奏と歌う。

 

なかなかおもしろい。

 

音声通話はとても心地よい。

 

アカペラで歌うのはなかなかじんわりと心に響く。

 

でも、一緒に歌おうと合わせてみると、

ずれる(笑)

 

え?!なんでこんなずれ方する??っていうくらい、

普通じゃありえないずれ方をする。

それは、今のオンライン通話の限界なんだろうな。

一人ずつの声は拾ってくれるけど、

みんなで同時に声を出すと、

丁寧に、順番に拾ってくれるようなのだ。

お話しているときは、それは意外と助かるのかもしれない。

歌を一緒に歌う様には研究されていないんだろうね。

けど、なかなか面白かったなぁ。

 

 

お互いのスピーカーのONOFFを切り替えてみたり、

外に出てみたり、

遠くから歌ってみたり、

いろんな実験をしました。

 

なんだか、そんな私たち人間が、

愛おしいなぁって思った。

どうしたら、この歌を届けられるかな。

どうしたら、一緒に歌うときの共鳴する感じを、音声通話で体感できるかな。

 

結果、うまく歌で心地よさを味わうっていうのには、

もう少し課題が残っていることがわかった。

それでも、

アカペラで聞こえてくる向こう側の声は

届けたい、という愛に包まれてやってくることが感じられて

私はじーんとした。

声で触れ合えた気がした。

スキンシップをしているみたいだった。

ハグしたり、手を繋いだり、背中合わせにすわったりして、

お互いの温度を感じられるような気がした。

 

 

今、私たちは、

混沌としたバイオハザードとも言えるこの状況にいて、

手探りで、お互いの身体を触れ合おうとしているんじゃないかな、

と思ったりした。

 

 

2011年の東日本大震災のとき、

私は鳩居堂という和紙などを扱うお店にいて、

外国人がたくさんいた。

揺れが大きくなった時、

近くにいた外国人たちは、悲鳴を上げて周りの人に手を伸ばし、

お互いに身を寄せあって声を掛け合った。

 

日本人だけではなかなかみられない光景だな、と、

身を寄せ合いながら思った。

 

 

このところ、その光景を思い出す。

自宅に待機したり、行動を自粛するひとが多い中、

静かに、遠くにいる人たちと、

なんとか手探りで触れ合おうとしているのではないかな、と思った。

身を寄せ合って、声かけあって、乗り越えようとしているような。

 

 

けれど、、、、、

たった今、感染地域から帰国した友人が、

検疫なしで入国できた、という連絡を受けて、

底知れぬ不安と恐怖を感じてしまった。

 

え、、、、、

なぜ??

 

行動自粛を要請し、急激な拡大をなんとか食い止めようと

策を立てているのではないのか?

 

入国規制や行動制限の勧告は明日から開始、とのことだけれど、

すでに拡大の危険真っ最中にいるのに、

そんな期日なんて意味をなさないのではないだろうか・・。

せめて、検疫や、健康チェックの問診などが、

あるべきではないの?????

 

昨日、高熱を出してコロナの疑いのある方が、

病院や保健所でたらい回しにあい、

驚きを隠せないという投稿を目にしたが、

 

なんだろう・・・

そこに愛はあるのか???と思ってしまった。

 

手を取り合って、乗り越えようとする、

助け合おうとする、気持ちは、ないのだろうか。

もしあるなら、それを行動に乗せることはできないのだろうか。

 

 

つい、

怒りが湧いてきてしまいました。

 

ここで、手探りで、

肉体が接触せずとも、触れ合える時間をつくれないものか、

と考えているその間にも、

行われている変なこと。

 

 

とはいえね、

こんな見方もできる。

 

どんなにいろんなものが蔓延っていても

大丈夫な私、大丈夫な身体でいたい。

蔓延しているそれは、悪者か?!実在しているのか?

私にとって何が大切か?

私は何を信じる?

 

検疫があろうとなかろうと、

行動規制がかかろうと、

不安と恐怖に怯える人がいようと、

私は、手を取り合おうと、支え合おうとする世界を信じる。

 

あの時、大きな揺れの中で身を寄せ合って声かけあって、

お互いの温度を感じたことで、落ち着くことができることを、

心細さから涙流して叫ぶことで和らぐ気持ちがあることを、

思い出そうと思う。