サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

ブログ100日への道。47日目。

 

 

45日目のブログで、声を聞くことについて書きました。

https://makimorimori.hatenablog.com/entry/2020/03/19/234447

 

 

そして、過去に書いたブログタイトルを眺めていたら、

声や音について3回も書いていた。

 

声に出会う

https://makimorimori.hatenablog.com/entry/2020/02/25/230000

大地の音

https://makimorimori.hatenablog.com/entry/2020/02/27/010409

声、きこえますか。

https://makimorimori.hatenablog.com/entry/2020/02/27/011915

 

 

そうして、今日は、家での作業しながら

NHKの朝の連ドラ「半分、青い。」を流し見している。

そしたら、

主人公の女の子が、片耳聞こえなくなってしまうんだ。

聞こえなくなってしまった、左耳の世界を

「小人が踊っているみたいだ」って彼女は表現していた。

 

 

さっきは、

メッセージでともにプロジェクトをやっている人と

やりとりをしていたところ、

「私はあなたの声を考えながらこれを書いているんだよ」と。

 

私の声・・

実際の声でもあるし、私のなかにある内的な「声」のこと、

そのどちらのことも言っているのだと思う。

 

 

 

・・・・「声」がたくさん聞こえてきている。

声ってなんだ。

前にも引用させていただいたこちらのページ。

 

https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoFm_jrVD8uGoKu/?p=2

身振りや手振りを使い、声を出し、言葉にすること。
いにしえの人々にとってのコミュニケーションとは、互いの肉体を使って交わされるものでした。
遠く離れた人と意思疎通をはかる方法もまた、太鼓を叩いたり、火をおこして狼煙をあげたり、からだ全体を動かす作業を伴うものだったのです。
――声になった言葉は脳と同時にからだ全体に働きかける。

 

からだ全体に働きかける。

からだ全体を動かす作業を伴うもの。

 

からだ。

音声となって伝えられる声をたとえ持っていなくとも、

私たちには身体がある。

 

手話にも、声がある。

身振り手振りで肉体を使って交わされるコミュニケーション。

 

そして、風や空や木々や花や、

そんな自然からも声を感じることができる。

音が聞こえる。

 

耳に音声として届いてこなくても、

たくさんの声に耳を傾けよう。