サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

伝わらないで

きょうからブログを書き始める。

 

「私たちの中は、表わされたがっていることで溢れている」

 

毎週のように会い、語り合ったりショピングしたりご飯を食べる親友と、

そんな話をした。

 

彼女は私の「信じる力」が凄い、と言ってくれた。

私の中の当たり前は、彼女にとっては「凄い」ことだった。

 

もちろんその逆に、

私は彼女の、「些細なことに喜びや幸せを見出す感度」がずば抜けていると言った。

そしてそれは彼女にとっての何気ない日常。

 

彼女とは、いつも沢山のことが当たり前のように一言で通じてしまう感覚も、

紐解いてみると、まったく当たり前に伝わることではなさそうで、

「うんうん、そうだよね、わかるわかる」

の中に含まれている数多の前提や、

伝わったことにしちゃってる大切なことが、

蕾のまま眠っていることに気が付いた。

 

そういうことで、

なんどもふたりとも挫折してしまったブログというものを、

一緒にはじめてみることにした。

 

続かなかった大きな理由のひとつが、

「他人の目や顔色を気にしすぎていた」ことだなんて。

そういう子供のころから抱えてきた傷みたいなものは、

大人になった私たちには、幻想であることを知っているのだから、

ほんとはどこかで、「好きでやってきた」「プレイ」を、

いい加減辞めよう。

 

「眠ったままの蕾」を伝えようという書き出しなのに、

タイトルの「伝わらないで」って矛盾しているんだけど、

初回のブログでは、

この歌のことを書く必要があるように感じた。

 

今の私の肖像画のような、記念写真のような、私だけの歌。

 

友人で、澤祐典さんという音楽家がいる。

彼は、自分のライフワークとして、

「あなたのうた」というセッションを提供している。

たった15分間、話をきいて、そのあとに歌をつくってくれるのだ。

ぜひ、この彼の記事を読んでほしい。

https://note.mu/nion1112/n/n7ca359b3c5ee

 

私は「あなたのうた」をつくってもらうことをお願いし、

15分間、ただその時思い浮かんだことを脈絡なく喋り続ける私の話を、

一言も口を挟まずにきいてくれた。

 

数日後、渡された私だけの「あなたのうた」は、

そんなこと話してもいないのに、というような、

でも、それこそ、私のなかにあった、表されたがっていた

深い眠りに入っていた蕾たちが姿を表していたのだ。

もう一生蕾のままでいる、と決めていたみたいなものたちすら、

思わず花びらを「開いちゃった」ようだ。

 

タイトルは『年表』

良かったら聴いてみてください。

 

 


『年表』【 あなたのうた # 23 】

 

初めてこれをYouTubeライブで聴かせてもらった時、

まるで、ずっと大切に温められていた涙袋が割れて、

そこから溢れ出るように、

涙が次から次へと出てきて止まらなかった。

 

「それがあなたをいやす糧に

なるのならいいよねと

思う気持ちすら

伝わらないで 報われないね」

 

うん。そう思っていたよ。確かにね。

今もこれから先も、どこかで必死で生きているであろうあの人へ、

生きる力が芽生えてきますように、という祈りのような気持ちが、

目に見える形では、伝わらなきゃいいのに、という思いと。

どうかどうか届きますように、という思い。

そんなこと、私の立場で言うべきことなんかじゃないのに、という思い。

 

「ああ なぜだ ああ なぜだ いまだに 

ああ なぜだ ああ なぜだ こんなに

ああ なぜだ ああ なぜだ それでも 

wow wow wow wow oh

 

ああ それが ああ それが たしかに 

ああ もしも ああ もしも あの日に

ああ ちがう ああ ちがう それでも 

wow wow wow wow oh」

 

私たちはいつだって、(少なくとも私は)

こんな風に確信と自信と後悔と迷いに満ちた言動を繰り返しながら、

ふっと拓けていく道を選んで歩いていくのかな。

 

ほら、これね。ほら、ここにも。

こうして、拾いきれていなかった落ち葉を一枚一枚丁寧に手にとって

眺めて、また樹の根元にそっと埋めてあげているみたいで、

胸いっぱいになっちゃった。

 

私にとっては、初めは涙なくして聴けなかった歌だったけど、

これは、「歌」だから、カラッとまっすぐに言えちゃう面白さがある。

どんなひどい自分も、情けない自分も、

これだけは墓場まで持っていくんだと思うようなものも、

歌になると、湿っぽい感情を拭き取ってくれる気がする。

 

本当は、数ヶ月は自分のためだけに味わって、

その間は、非公開にしてほしい、と澤さんに伝えたのでした。

でも、渡されてからすぐに2〜3回聞く内に、

不思議なことに、もうすでに、「私だけ」の歌ではなくなっていたのです。

そこに確かに宿っていたはずの、

私の中にあった感情とかこだわりみたいなものがすーーーーーっと流れていって、

元の源に還っていったかよう。

これって、歌の持つ、音楽の持つ、力なんだろうなぁと思う。

 

今では、ふとした時に鼻歌で陽気に歌っている曲のひとつになった。

 

歌をつくってもらい、歌ってもらうことで、

私の年表は、またひとつページをめくることになった。

 

 

上記のリンクにも歌詞が掲載されているけれど、 

ここにも歌詞全文貼り付けておきます。

 

『年表』 作詞 澤 祐典 作曲 澤 祐典

 

なんつーかなんつーか 身勝手なヤツばっかだ 

なんつーかなんつーか あぁやってられないよ

 

ぶっちゃけ 言ってもいいですか 

ぶっちゃけ 言わせてもらえますか

もしかしたら あなたを傷つけるかもしれないが

 

ぶっちゃけ 言ってもいいですか 

ぶっちゃけ 言わせてもらえますか

そんなに やられっぱなしじゃ 私 ないんです 

 

ぶっちゃけ!

 

エクセルなんかでまとめないでよ 私たちの歩みを

一歩ずつそれなりに たどってきた道のり

他のひとには わかりっこない

なるようにしかならない道 二人で歩んできた

 

それがあなたをいやす糧に

なるのならいいよねと

思う気持ちすら

伝わらないで 報われないね

 

あなたと過ごして 一人で立てるようになったよ

あなたと過ごして 夏が終わらない

あなたと過ごして 短い年表ができたよ 

誰にも知られることのない 二人がいた証

 

この手でいま 幕をおろすから

 

目をあけてごらん 顔をあげてごらん 

ほら 世界はいまも こんなに広がってる

いまは泣いても 怒り散らしても 

明日は明日の風が吹く

 

呼吸をやめない この胸の鼓動は 

いつでもあなたを 守り抜くからさ

大地に降り立ち 錨を上げよ 

さあゆこう あたらしい世界へ

 

ぶっ飛ばして ぶっ飛ばして 

追随を許さないスピードで

ぶっ壊して ぶっ壊して 

跡形もなく全部消してくれ

 

ああ なぜだ ああ なぜだ いまだに 

ああ なぜだ ああ なぜだ こんなに

ああ なぜだ ああ なぜだ それでも 

wow wow wow wow oh

 

ああ それが ああ それが たしかに 

ああ もしも ああ もしも あの日に

ああ ちがう ああ ちがう それでも 

wow wow wow wow oh

 

ぶっ飛ばして ぶっ飛ばして 

追随を許さないスピードで

ぶっ壊して ぶっ壊して 

このぼくの奥の炎の もっと奥の奥のほうで

 

あなたと過ごして 一人で立てるようになったよ 

あなたと過ごして 夏が終わらない

あなたと過ごして 短い年表ができたよ 

誰にも知られることのない 二人がいた証

 

エクセルなんかでまとめないでよ 私たちの歩みを

一歩ずつそれなりに たどってきた道のり