サヤ日記

わたしの日常の、なんでもないふつうのこと。でもそれは、誰かにとっての非日常。私が目を向けた、ありがとうの気持ちを分かち合えたら。

分かつことのできないもの

ブログ100日への道。12日目。

 

書いてる途中に寝落ちてしまった・・・・・

 

昨日に引き続き、橋本久仁彦さんという方の開く場へ。

未二観(ミニカン)というものを学びに行ってきた。

 

未だ二つではない。

二つに分けない。を、観る。

 

15分間。話しては話し続けるのだ。

沈黙があっても構わない。話さなくても構わない。

聞き手は、その話をただ、全体性をもってきく。

全体を差別なく。

相手の悩みを解決するために、などといった目的を持たず。

その15分間を、曲としてみてみる。

そのように、相手のことばを「辿って」ゆく。

 

私は、このような話のきき方をしたのははじめてだった。

これまでの私であれば、

やや退屈でポイントを掴んで聞こうとしてしまうような、

たわいのない話として聞いていたかもしれない。

 

けれど、

こうして15分という制限のある、まるで舞台空間に誘われたような、

真剣勝負の時空間。

 

すると、なんと、相手の死生観が浮かび上がってくるようであった。

生き死にの境を彷徨いながら、呼吸がともに同調していくようでもあった。

 

こんなところに、人の本質がこうも色濃くあらわになっていようとは

これまで思いもしなかった。

 

話がつまって、呼吸音しか聞こえなくなっているその時間こそ、

その時間がなければ成立しえない曲が、立ち上がっていた。

 

私は15分の間、心臓が生々しく脈打っている様子が浮かんでいた。

 

 

けれど、これは私が見た景色であり、

同じ話を他の人がきき、その感想を聞けば、

まったく違う景色であったことにも驚きと感動があったのだ。

なんて豊かな世界がこの世に存在していたのだろう、と思った。

 

 

 

私は、橋本久仁彦さんに出逢い、伝えてくださったことで、

これまで自分がしてきたこと、取り組んできた中で

どうにも受け入れがたいと思っていたことや

引っかかってしまっていたこと、

そんな滞りの、つまりが溶けて流れていくような感じがした。

 

 

これから半年をかけて、こうした未二観の世界を探究していく。

それは同時に、自分の人生を深めていく時間になるだろう。